THBSLOG
まだ眠っている君へ
暗中模索で、訳が分からなく霧の中を彷徨っていたり、周りが見えなくなって突進していたり、巨大な壁を前にして無力感にさいなまれる。そんなことはしょっちゅうあるはず。

そういうときに限って、ふとした一言で霧を吹き飛ばしてくれたり、目を開いてくれたり、壁に取っ掛かりを作ってくれる人が必ず現れる。それは親友だったり、大切な異性だったり、親だったり、尊敬する先生や大人だったりする。その人たちと話してると、暗雲立ち込める世界が一瞬にして晴れ渡り、世界は希望に溢れているように感じるはず。

だから、

どんな濃霧をも吹き飛ばせるような突風(鋭さと厳しさ)
世界全体を見渡すような太陽(優しさと知識)
高い壁を超える道を示す虹(輝きと希望)

近い将来生まれてくる君にとって、そんな父親になりたいと思う。約束は3つ。
・「そういうもんだから」とか「みんなもそうだろ」とかいうかっこ悪いことは絶対言わない
・一人の人間として対等に扱う
・必要なときは、全力で叱る

何よりも君の笑顔を楽しみにしてます。
2009.11.22 * 手紙 * CM:0 * TB:0 * top↑
広島での被爆者体験談
待合室に彼女を迎えに行ったとき、彼女は90度の深いお辞儀をして、中々顔を上げなかった。机の上にきれいに並べられた両手には、目を覆いたくなるような火傷の跡があり、その両手は小刻みに震えていた。

「今日は私の話を聞きに、はるばる広島まで来てくださり、本当に、本当にありがとうございます。」

彼女は2年前に脳梗塞の手術をしたばかりなので、言葉を絞り出すようにしゃべっていた。被爆者の体験談をHBSの同級生に聞いてもらいたいと申し込んだ僕は、そんな人に迎えられることは全く想像していなかった。胸が締め付けられるような切ない気持ちに襲われ、言葉が出なかった。「こちらこそお忙しい中ありがとうございます」とも、「顔を上げてください」とも言えなかった。ただその場に立ち尽くしてしまった。

彼女の話は壮絶だった。原爆が落ちてくる様子、投下直後の光景、親友の死、被爆後のリハビリの日々。生涯を孤独に生き、40年にわたり被爆体験を世界中に話していったこと。

その話を聞いたときに、なぜ初対面で僕が切ない気持ちに襲われたのかが分かったような気がした。彼女の挨拶の仕方が、あまりにも孤独を匂わせていたからだと思う。ひょっとして彼女は、深く他の誰かと心を通い合わせたことがないんじゃないかって、ふと思った。そう思うと悲しくて涙が出た。

彼女は涙を流しながら、もう私達のような悲しい被爆者を生み出してはいけないと訴え、自分の体験談を結んだ。

彼女の話が終わってから、僕は質疑応答のファシリテーターをするためにステージに上がった。旅行参加者からのささやかな贈り物として、HBSのロゴが入ったペンを片手に握っていた。そんなペンは彼女にとって不要であることは分かっていた。彼女が本当に求めていることは、自分の体験談が聞き手に届き、やがて核が世の中からなくなることだ。

僕は事前に準備していた質疑応答の前置きが書いてある紙を丸めてポケットの中に突っ込み、会場にいる70名の同級生を見渡した。

「僕が今朝彼女を迎えに待合室に行ったとき、彼女は僕に対して深いお辞儀をしてこう言った。『ハーバードのの学生は世界に大きな影響を及ぼす人たちだと思います。そんな人たちに私の話をはるばる聞かせにきてくれて本当にありがとう。』そんな彼女を前にして、僕はなぜか言葉を失ってしまった。多分、悲しかったからだと思う。彼女は、自分の体験談が本当に我々の記憶に残ることを求めている。その壮絶な体験が僕達の胸に焼き付けられ、いずれ核問題の解決につながることを求めている。だから、質疑応答の最初の質問は、僕から皆に対する質問ではじめたいと思う。。。

なぁみんな、僕達に出来ることは何だろう。」

会場に重い沈黙が訪れた。僕は辛抱強く待った。30秒くらい経過した後、何個か意見を言ってもらうことができた。内容はありきたりで、抽象的だったけど、それで全然良かった。5分の間だけ、皆に考えてもらえたこと、そして勇気を持って発言してもらえたことが嬉しかった。

Mさん、あなたの声は確かに僕達に届きました。帰り際に彼女にそう伝えると、子供のように手を叩いて喜んでくれた。その無邪気な喜び方の中にも、深い孤独と悲しみが見て取れた。
2009.06.04 * 未分類 * CM:0 * TB:0 * top↑
仲間達の言葉
昨日、TEM(アントレプレナーシップ)の期末試験を終えて、HBSでの1年目が終了した。今日、空っぽになった教室を訪れて、そっと一礼してきた。この一年間、教授や仲間や自分が教室の内外で主張していたことが、よみがえってきた。

リーダーとは。
「リーダーとは、ただ存在することで周りの人間を向上させ、不在のときまでその効果を持続させることができる人だ。」

フライ先生の言葉。人間味のあるリーダーになりたいと思った。

本当の差別を知らないから。
職場の多様性について議論していたとき、あるクラスメートが発言した。
「そこまでマイノリティーに気を遣う必要はないんじゃないか。彼らも対等に扱われることを願っているはずで、過保護な姿勢はかえって彼らを傷つけるだけだと思う。」
黒人女性のMがすかさず挙手した。一言いわなければ気がすまないといった気迫だった。
「あなたは本当の差別を知らないからそう言えるのよ。言葉や行動になんかする必要はない。それは人々の目に映るものだから。君は生まれつき私に劣っているんだ、という目で人に見られたことがないでしょう?」

彼女の目には涙が浮かんでいた。

あなたの名前が意味すること。
「大抵の人は、ここにいる皆も含めて、以前属していた場所にその名前を尋ねてみると、ああ、そんな人もいたっけな、という反応が返ってくると思う。あるいは当たり障りのない一般的なお世辞文句がかえってくる。そういうとき、あなたの名前に意味はない。でも、ごく少数の人間は、その名前を以前の職場の人に尋ねてみると、ああ、その人のおかげでこんな変化があったという反応が帰ってくる。その人の名前には価値がある。私達は将来、一つの場所にとどまることはできないかもしれない。でも、自分が去るときに、自分が残したものは何か、自分の名前が意味のないものになっていないか、絶えず考えて行動すべきなんだと思う。」

正論は聞いてない。
「なぜ、あの人はそんな生き方をしてるんだと思う?」
thbs: 「そりゃ価値観は様々だから。」
「。。。正論をどうもありがとう。」

考えてない人間には味がない。

僕の国ではリーダーシップは悪いことだ。
「ドイツは大きな十字架を背負っている。僕達は皆幼少の頃に、キャンプに連れて行かされて、自分の国がユダヤ人に対してどんな仕打ちをしてきたかということを教育される。いくつもの生々しい写真を見せられて、自分の国がイヤになってくる。ここでは、リーダーシップというと、何か素晴しい、世界に貢献するために必要なもののように捉えられるけど、ドイツでは、リーダーシップというと冷たい空気が流れる。誰もがヒットラーの名前を思い出す。」

日本には戦略がないなんて誰が言った。
「確かマイケルポーター(HBSの看板教授)が、日本企業には戦略がないといっていた。でも私はそんなことはないと思う。戦後の驚異的な成長を見ると、その中心には優秀な官僚達が頭脳となり、いくつもの企業を動かし、成長の舵取りをしていた。ものすごく戦略的に。戦略のない国が、世界第2位の経済大国になり得るはずがない。」

私は考え抜く。
「アントレプレナーシップというと、リスクを取ってがむしゃらにがんばって成功を掴み取るというイメージがある。まるでアントレプレナーは考える衝動を抑えなければいけないような。でも、それは間違ってる。私はあくまでも考え抜く。ありとあらゆる可能性を検討して、事前調査をして、成功の可能性が1%でも高いものを選ぶ。そして走り出しても考え続ける。脳みそを麻痺させて走り続けた挙句、想定可能だった失敗にぶつかり、「良い経験をしたなぁ」なんて言うくらいなら、いっそ家で皿洗いでもしてたほうがずっと有意義な時間の使い方だ。」

倫理でメシが食えるか。
「別に不正会計をしろといっているわけじゃない。でも、倫理の授業を受けた末に卒業した同級生達が、勘違いをしながら社会に入っていくことを不安に思う。今あるビジネスの枠組みの中に倫理的な課題を見つけては、それは倫理に反することだといって、ビジネスの本質を見失うんじゃないかって。そんなやつとは息苦しくて誰もビジネスをしたがらないよ。倫理は大事だけど、やっぱりそれじゃあメシは食えない。カギは問題指摘思考じゃなくて、解決思考だ。」

良く見てみろ、お前は裸の王様だ。
「ベンチャーキャピタルはいつもこういう起業家を相手にしている。彼らは素晴しいものを持っていると信じ込んでいる。でも彼らにあるのはアイデアと、ホッケースティックのような形をした収支予測だけだ。言い換えると、何もない。良く見てみろ、お前は裸の王様だ、と言っても、彼らはあまりにも自分達のビジネスに目がくらんでいるから、その言葉が届かない。」

貧乏人の唯一の問題は、金がないってことだけだ。
「貧乏な人の何が悪いかって?彼らは劣っているわけでも、馬鹿なわけでもない。当たり前すぎるけど、金がないだけなんだ。そしてそれはとても簡単に解決可能な問題だ。」

I DISAGREE!
一回の授業で平均3回くらいは反対意見が出ていた。
「その前提条件はおかしい」
「数字は全く違うことを言っている」
「問題の捉え方を間違えてる」
「本当にその人の立場になって考えると、、、」
「優先順位が違う」

おめでとう。お疲れ。一年間ありがとう。
「お前と毎日会えなくなると思うとさみしいよ。」
「一年間ありがとう。来年もよろしくな。」
「良い夏を!」
2009.05.21 * 自分メモ * CM:0 * TB:0 * top↑
プロフェッショナルとマネジメント
「当時の僕はまだ駆け出しの研修医だった。僕は先輩とチームを組んで、遅番で救急患者を担当していた。ある晩、3人の患者が運ばれてきた。飲酒運転をしていた男が、母親と子供が乗っている車と衝突したんだ。手が開いているチームは僕達だけだった。

飲酒運転をしていた男が一番ひどかった。すぐにオペをしなければまず助からない。
母親は安定していたが、これもオペが必要だった。
子供は軽症だった。

僕はとっさに母親を助けなければと思った。彼女は被害者だし、こんなに幼い子供もいる。しかし先輩は即座に飲酒運転をしていた男のオペに取り掛かった。彼の判断に一瞬の迷いもためらいもなかった。男は助かった。

そのオペをしている間に母親は死んだ。後々聞いてみると、男は飲酒運転以外にも色々な犯罪を犯していた。でも、先輩は彼を助けることを選んだ。医者として、オペをしなければ助からない人間をおいて、母親のオペをすることはできないと言った。その経験から、僕は医者がなんたるかということを知った。」

LCAという授業で、自分にとって倫理とは何かという話をしているときに、医者のRが話してくれたことだ。

漫画「ワンピース」でサンジが言ってたこととほとんど同じだと思った。彼はレストランを訪れた大悪党が餓死寸前なのを見て、仲間の忠告を無視して料理を与えた。案の定、腹いっぱいになった大悪党はレストランを襲った。後になんでそんなことをしたのかと仲間に問い詰められたとき、サンジはこう答えた。

「知ってるよ、相手が救いようもない悪党だってことくらい。でも関係ないんだ、そんなこと。腹いっぱいになった後にそいつがどうするのかなんて。考えるのもめんどくせー。食いてぇやつには食わせる。コックってのはそれでいいんじゃねえのか?」
(ワンピース サンジ)

プロフェッショナルってそういうものなんだと思う。役割を全うする姿勢は立派だし、かっこいいと思う。でもプロフェッショナルとマネジメントは違う。プロはある専門技能を突き詰める側であり、その技能は判断を偏らせる。医者はより重症な人間を治すし、弁護士は偏見をなくしてクライアントを守る。反面、マネジメントは大局観を持って判断しなければいけない。両方とも世界には必要な役割だけど、求められるものは全然違う。

だから、Rの先輩が医者として犯罪者にオペしたとき、プロフェッショナルとしてはその判断を疑う余地はないけど、マネージャーとしてはその判断をもう一度再考する価値があるんじゃないだろうか。
2009.04.28 * 授業 * CM:0 * TB:0 * top↑
American Nightmare
「不動産は安全な投資である。一般家庭が借金をして投資することができる唯一の資産であり、最も見返りが高い投資である。(21世紀も)不動産の価格は上昇し続け、その上昇率は90年代のそれを上回るだろう。」
(Fannie Mae CEO Franklin Raines)

「我々のビジネスはアメリカンドリームを売ることだ。」
(Fannie Mae社訓)

人気ボードゲームの「モノポリー」は、1903年のアメリカでその原型が開発された。発案者のElizabeth Philips氏は、少数の地主達が一般市民から家賃を搾取している不平等性な社会の構図を暴くべく、「The Landlords Game」と銘打ってゲームを作った。消費者の嗜好に合わせて改良を重ねた結果、1935年に「モノポリー」が発売された。爆発的なヒットだった。

勝つためのコツは小学生でも知ってる。とにかく土地を買いまくることだ。土地を買い、ストリートを買い、マンションを建て、大富豪になる。これが常套手段だ。そのようにして「モノポリー」という大ヒットゲームは、発案者の思惑とは裏腹に、土地を買うことが賢い投資法であるという強いメッセージをプレーヤーに伝えた。

モノポリーの発売と同時期にルーズベルト政権は「アメリカンドリーム」を開発した。1930年代にFHAやFannie Maeなど、一般家庭が家を購入するために必要なローンを提供する枠組みを開発したことで、アメリカ人にとってマイホームは夢ではなくなった。ルーズベルトは国民に家を持たせることにより、見事に国家の安定を実現させた。

全ては順調だった。第二次世界大戦以降、持ち家比率は40%から60%に上昇し、国民はハッピーだった。治安は良くなり、人々は安心して自分の城に住み、ローンを返済すべくせっせと働いていた。

どこで歯車が狂ったのかは分からない。でも、60年間順調に持ち家比率が上昇している中で、人々は不動産の価格は上昇し続けるものだと思い込み始めた。政府は今までにもまして持ち家比率を高めるための手を打っていた。2002年にブッシュは「我々はアメリカ人全員に家を保有してもらいたい」と声高に宣言した。2005年のアメリカの持ち家比率は70%にまで上昇していた。

そんな中サブプライムローンなるものが生まれた。サブプライム金融界は、何の収入も仕事も資産も持たない人々に高い金利で金を貸して家を買わせた。誰も異論を唱えなかった。ハーバードの名誉教授であるHenry Louis Gates Jr.は、「アメリカの貧困を解決するためには、貧困層に土地を与えることだ」と主張した。

もちろん、収入もない人々がローンを返済できるわけはないのだが、彼らにはウルトラCがあった。返済を迫られたら、自分の家を担保にしてまた借金をして元のローンを返済すれば良いのだ。家の値段は上昇しているので、借りられる額も増えている。住宅価格が上昇しているうちは、この技でローンを返済できた。

しかし、2005年頃に住宅価格の上昇はあっけなく終わった。収入が乏しいサブプライム層は、ローンの返済を迫られてもなすすべもなかった。その頃にはサブプライムローンは証券化され、世界中の金融機関の帳簿の中に地雷のように埋まっていた。証券の元となっているローンがダメになり、証券の価値は激減した。その打撃は誰も想定しえなかったくらい大きく、Lehman Brothersなどの大手証券会社の倒産につながり、そのようにして、アメリカンドリームは世界の悪夢になった。

今回の金融危機は人間の強欲が引き起こしたと良く言われるけど、実は過度な借金をしてマイホームを購入することが善であるというプロパガンダを打ち出した政府が引き起こしたとも言えるのではないだろうか。
2009.04.22 * 自分メモ * CM:0 * TB:0 * top↑
       
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Author:thbs
ハーバードビジネススクールの留学日記です。
自分自身のリーダーシップを確立するために、日々精進しています。27歳。NY出身。元コンサルタント。

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